12年前の今日は、今日より寒い日でした。

その日、私も伊丹空港の近くに居ました。

暗闇の中・・ひょっとしたら白み始めていたかも知れませんが、
あまりに酷い揺れと地響きが起こり、同時に物が割れる音が
鳴り・・恐怖と揺れで目が覚めました。
でも、恐怖と揺れの為に、身体はすぐには起こせず、
しばらくの間の記憶も飛んでいます。

この瞬間にも多くの方が亡くなり
怪我をされたのだと思うと、痛たたまれない気持ちになります。

今年、ヴィーナスブリッジで演奏された曲は、
『千の風になって』 でしたね。
あの曲には、亡くなった方の気持ちと、その人を大事に思いながら
生きている人の気持ちが詰まっていますよね。

「いまだに、安らかに・・と言えない・・」
というインタビューの声を聞いて、
あの地震は、本当に多くの大切なものを奪ったのだと
思い返す事しか出来ません。



内輪話しで恐縮ですが、
その日、客室部も混乱していました。

神戸方面からタクシーや電車で通勤してくるはずの
多くのCAが未到着で、連絡も付かなかったのです。
早めに到着していたCAを、それ以前の便に振り替えたり、
他便に回したり、他のベースのCAと合同で飛んだり、
寮に住んでいるCA達を早く呼び出したり・・

何か本部からの連絡があれば、課長自らが
CAに周知事項を部内放送したり・・
てんやわんや状態でした。

クルーの欠員による欠航便を出してはいけない、
という使命に客室部は燃えていました。

航空会社として、何よりもお客様の事を考えなくてはいけません。
その為に、伊丹空港からも、普段はあり得ない短い路線が
臨時的にオープンしたりもしました。

そして、その思いが強い程、
神戸に住むCAと客室部のスタッフの間に
行き違いが起きていました。

神戸がいかに酷い事になっているかの情報が入って来なかった
一日目、大阪府内の寮に住んでいる多くの男性スタッフには、
「あれくらいの揺れで、何故、来れないんだ。
何故、電話がずっと話し中なんだ」
と、苛立ちがあったそうです。

1日目に何とか出勤してきたCAも、どれだけ酷い事になっているか
の説明を流されてしまったようです。
さらに、日帰り勤務からステイ便に変更になり、
「家が半壊で家族が心配なんです。日帰りのままではダメですか。
電話も通じませんし」
と言っても、状況が状況だけに受け入れてもらえず・・
という事もありました。
(まだ携帯電話が普及する前です)

関西に居た議員さんが、ある国会議員に電話で
「神戸が大変だ」と連絡を入れたにも拘わらず
その時は信じてもらえなかった話は有名ですが、
同じ状況が客室部の中にも起こっていました。

電車が通る日まで、
神戸に住み大阪に会社のある方は、
徒歩で大阪まで通勤されていました。
神戸に住むCAも、大阪で物資を購入してから、
えらく遠回りの電車を乗り継ぎ、神戸に帰っていた人もいました。

その方達の声は、いちおうに
「神戸には何も物資が来ないのに、大阪に行くと
いつもと変わらない生活がそこにある」
でした。

地図を見るとそれ程遠くないのに、被害の差は大きく違って
いたのです。
客室部内の行き違いも仕方無かったのでしょう。

幸い、CAとその家族に亡くなった方はおらず、家が半壊・全壊
というCAはいましたが、そのCA達も、何時間も掛けて、
ほぼ全行程を歩いて神戸から出勤していました。

ご近所で、ご遺体を運ぶのを手伝ってから来たCA、
そういうシーンを目撃しながらも手伝えず、
後ろ髪を引かれながらも出勤してきたCAも居ました。

家が全壊し、家族から「途中の道も危険だから行くな」
と引き留める家族を振り払い、泣きながら家を後に出勤
してきたCAも居ました。

3日も経つと状況も正しく報道されはじめ、客室部としても
寮を全社員に開放したり、シャワールームにタオルを置いたり
するようになりました。

組織というものは、人数が多いほど、お互いの思いやりに欠けて
しまうものだと言うことを、私も目の当たりにしました。
震災から3日目に、ある上司にばったり会いました。
「大丈夫でしたか?」と声を掛けようとすると、いきなり
「仕事に穴開けなかったでしょうね?」

・・・・

この地震は、私の職場にも、沢山の教訓を教えてくれ、
問題提議をしてくれたように思います。




そして12年が経ちました。私も、去年から今年と少しずつ阪神の風化が始まっているのを感じています。

ただ仕事柄、釧路や新潟や福岡の地震を経験し調査することが多かったのですが、教訓は確実に生かされている、というのも感じています。人はそういう意味で進歩します。捨てたものではない、とも思います。
【2007/01/17 18:49】 URL | ロビーニョ #-[ 編集]
私は全く関係のない場所で、関係者のいない身の上でした。
テレビで映し出される惨状にただただ、実際のことなの、と驚くばかり。
そして、被害者の数、その数が悲惨さを決して同等に物語っているわけではありませんが、増えるにつれ、日本はどうなってしまうんだ、と思いました。

そう、大阪には何でもある。
それと同じ。
あんなに人が亡くなっても、日本はあり続ける。

復興できないのでは、と思っていたあの都市。
後の状況にただただ驚くばかり。

私は何もできなかった。
募金さえしなかった。
ただただ、怖かったのです。

夫は当日、飛行機で、上空から見たそうです。
火の海を。
【2007/01/17 21:36】 URL | のんのん #-[ 編集]
私はこの時は大阪に居たので、被害はありませんでした。朝のテレビで阪神高速が倒れている風景を見て、どこの事か全く分からず、それが神戸と分かった時は「えっ!?」という感じでした。
当然私の職場でも神戸方面に住んでいる人は大変だったようです。幸い亡くなった方はいませんでした。

あの教訓を今後に生かさなければいけないのでしょうが、今の日本を見ていると同じ事があっても国の対応は何も変わらないような気がします・・・
【2007/01/18 10:05】 URL | Jack #-[ 編集]
12年前、私は小学3年生でした。
でもはっきり覚えています。テレビに映った光景。

東海地震、関東大地震が近い未来に起こる。
そう言われるようになって久しいですね。
愛知県に地元があり、東京で一人暮らしをしている私にとって、どちらが起こっても自身の生活を脅かされてしまいます。
そこで、生かされるのが阪神大震災。
あの教訓を生かして、私たちがいつ訪れるか分からない災害に備えること。それに尽きますね。

そんな状況の中でも仕事のことを考えなければならない事実。読んでいて心が痛みます。
でも、知ってよかった。ありがとうございます。
【2007/01/18 14:13】 URL | ゆき #cxq3sgh.[ 編集]
当時、激しい揺れの中で思っていたのは「爆弾かなにか落ちた?戦争?」「地震?こっちでこんなに揺れてるのなら、東京は一体…。」という事でした。
冷静なようで、冷静じゃなかったんです。
子供の頃から「関西には地震がない」と聞いて育ちました。確かに、経験のある地震は電灯を見上げて確認できる程度のものだけ。
お年寄りから「関東大震災の時には神戸も少し揺れた」と聞いた事がありました。
だから「東京はどうなっちゃうんだろう?」と、あの長いようで短い揺れの中でさえ思ってました。まさか、こちらが震源だとは思わずに。
震災の後になってから、南海地震や色々な断層の存在を知りました。決して「地震のない関西」ではなかったのです。これらの情報と認識があれば、防災や対応の面で違いがあったのかも…と思います。
【2007/01/18 15:19】 URL | めい #-[ 編集]
風化して欲しくないですよね。
忘れてしまう事は、次に同じような事が起こったとき、
困る人が沢山出てしまうという事を示していると思います。

地震はまたきっとどこかで起こりますよね。
【2007/01/19 01:39】 URL | エメラルドK #DdMDrPns[ 編集]
そうですよね、震災に実際に遭ったり、自分や自分の身近な人が被害に遭ってないと、多くの人は、そういう感じになると思います。

私も、お仕事があった事もあり、ボランティアなどは出来ませんでした。募金も会社に置いてあった箱に幾らか入れただけです。

もう・・何をしたらいいか、本当に解らない状態でした。
災害は、常識とか感情とか、人間関係とか・・色々なものを
壊してしまうものだと思います。

でも、備えあれば憂いなし・・これは、本当にそうだと思います☆ 物だけでなくて、ソフト面も。

【2007/01/19 01:43】 URL | エメラルドK #DdMDrPns[ 編集]
同じ関西でも、神戸と大阪は、本当に震度が違いましたよね。数字の上では、大阪は5くらいでしたっけ?神戸と
2しか違わないのに、被害はもの凄い違いましたよね。

阪神高速・・はい、私も、携帯テレビで見た時、
「どうなってるのこれ?いったい??」とびっくりし、
そして、外を見たら、遠くで煙りが何本か上がっているのが
見えて、びっくりしました。

そうです!!あの時、ヘリの音が救助の邪魔をした、
と取り上げられたのに、JRの事故の時も、12機くらい
飛んでました。教訓・・生かされてないと思いました。
【2007/01/19 01:52】 URL | エメラルドK #DdMDrPns[ 編集]
小学生でいらっしゃったのですね。
でも、小さいながらに、これは、タダ事ではない、
と映ったのでしょうね。

お仕事とは、そういうものかも知れません。
地震の当日、あるスーパーに行ったら、レジには
長蛇の列が出来ていました。
長い列に苛立つお客さんが、店員さんに詰め寄る
場面も目撃しました。
でも、他のスーパーが閉めたままの中、そこの
スーパーは開けたのです。
物資を供給しようという社会的目的意識が高かった
のでしょう。
店員さんにもお家があります。家族がいます。
心配事を抱えながらも、出勤して来られたのです。
私はとても感謝しながら列に並んでいました。

社会人も大変ですよね。でも、そういう責任感があるから
こそ、多くの社会人の方にとって、乗り越えられる支えに
なったのかも知れない・・と思う事もあります。
【2007/01/19 02:05】 URL | エメラルドK #DdMDrPns[ 編集]
職場の人で、「ポルターガイスト」と思った人が居ます。
その日は早い勤務で、お家で支度中に、いきなり
物が飛んだので、そう本気で思ったそうです。

あとで、色々な関西の人に聞くと、
「ついに核戦争が始まったと思った」とか
「巨大隕石が落ちたと思った」とか、
色々に感じる人が居るものね〜と思いました。

私は、すぐに地震と解りましたが、
「きゃーーー!」と叫んでました。
そしてすぐに関東の姉に電話したら
(うちでは、地震直後は電話は通じたのです)
出てくれなかった(寝ていたようです)ので、
今度は実家に電話し、
「大丈夫だから。姉にも連絡しといて〜」とだけ
言って、すぐに切りました。
親は、きょとん、としていました・・・。
しばらく経つと、電話は通じなくなっていました。

そうですよね、必要な情報をもっと公開し、
周知し、しっかり認識させ普及させて欲しいですよね。
【2007/01/19 02:19】 URL | エメラルドK #DdMDrPns[ 編集]
私達は、神戸でなくなった6000の魂を無駄にしたくないと、心から思い次の震災が来る前に対応できるようになろうとがんばっています。心もとない気持ちはわかります、私達がまだ頼りないのも事実です。でも、何が進歩して何がまだ足りないのか、いつも具体的に考えましょう。そうして、足りないものをきちんと満たしましょう。

DMATという言葉をご存知ですか?阪神のころにはいまだ、災害時医療救急チームすらなく、スウェーデンの当時もっとも強力だったチームの支援の申し出すら断った。なぜ?って、災害時救急医療チームがどれほど威力のある組織であるか?すら当時の私達は知らなかったのです。

でも、あの地震で私達は少なくともそういう医療チームがあれば、そしてそれを被災地へ迅速に送れば多分、被害の軽減(減災といいます)は可能だということは知りました。

災害時救急医療チームDMATは、今東京だけで200を越えました。すべてこれは阪神の教訓です。どうか、あの犠牲を無駄にしたくない、という気持ちから多くの取り組みが一つずつ形になっていることも、認めてください。そういう理解があって、私達も励まされ、もっとがんばろうという気持ちになれるのです。

よろしくお願いします。
【2007/01/19 10:54】 URL | ロビーニョ #DdMDrPns[ 編集]
>ロビーニョさん

あの地震で地域の取り組みやボランティアの取り組みは真剣になりましたよね。
それとDMATですか!初めて聞きましたが、こんな心強いものが出来てるんですね!!

私が教訓を生かしてないと思ってるのは国(政府)の対応です。耐震偽装問題にしても、芋づる式に発覚するのを恐れて、結局は責任の所在をうやまやで終わらせようとしているし(利益優先)、その後の対応についても具体的な施策は何もありません。
こんないい加減な対応ばかりやっている今の政府では次の災害でも後手後手に回るのではと杞憂しています。

でもDMATの発足など、色んな意味で教訓は生かせれているのでしょうから、そういう人達の存在をもっと知らしめなければいけませんね。
それにより、国が少しでも動いてくれるように・・・
【2007/01/19 17:12】 URL | Jack #-[ 編集]
はい、そのいらだちとてもよくわかります。そして、私は実はあなたよりもっといらだっているかもしれません。だってどうすればいいのか、が全部わかっているのによくわからない理由で後回しにされることのなんと多いことでしょう!

私とその仲間たちは、最近考え方を変えました。国に何かをしてもらおうとはしないこと。自分たちで何か行動を起こし、きちんと形にし、そしてそれを国にもって行くようにすることです。僕たちはここまでやりました、こんなにうまくいきます。どうですか?こういう方法を採用してくれませんか?と提案するのです。そしてそれを記録に残しておくのです。やれるのはそこまでですが、本当に必要なことならいつか思い出してくれるはずです。

いつも私たちはないものねだりが得意です。あれもないこれもないそれもない。そして何にもできていないような絶望感にとらわれます。そこだけを見ていると確かにそうかもな・・・と思えることは確かに多いですね。

でも、本当にそうなんでしょうか?それは災害への取り組み全体の中でどのくらいの部分ができていないのだろう、と考えるようにしたほうがいいと思うのです。

私は最近あせる気持ちを抑えるためかもしれないけれど、あの時自分たちはどれほどできていなかったかを振り返るようにしています。あの時、そう12年前の1月17日に何ができていなかったかを考えます。

そしてどれだけのことができて欲しいかを考えます。
そして今何ができるか、できるようになったかを考えます。
すると何ができるようになって、あとどれだけやればいいのか、がわかるようになって、少し気持ちが落ち着きました。

人間は捨てたものじゃない、というのはそういう作業から、少しずつこの国も進歩しているのだ、とわかったことから生まれてきた私の気持ちです。

12年前のあの日、私たちの国は確かに3歳くらいの幼児だったと思います。3歳の幼児が成長していく過程を思い出してください。

トイレでおしっこができました、おはしの持ち方がちゃんとできるようになりました、電話に出られるようになりました、お使いができるようになりました・・・・日本は今、そのぐらいかもしれません。でもやっと6歳くらいにはなりました。

それはすごいことだと私は思います。でもJACKさんは、3歳からすぐ20歳になってほしいのですね?その気持ちもすごくわかります。でも、無理。一つ一つできることをするしかありません。だから百点じゃないけれど、と書きました。先の道のりの苦しさを考えると、絶望したくなることもございます。だから応援してほしいと書きました。できることを遅らせないように、絶望してやりたくなくならないように、どうか応援してください。

そして形にして、結果を出して、国を動かすのです!そういう順番でないと、国も世界も動きません。そういうものなのだと思います。
【2007/01/20 03:06】 URL | ロビーニョ #-[ 編集]
お二人の高尚なやり取りに付いていけるかな・・苦笑・・と
思いつつ、DMATを検索してみました。
沢山ヒットして驚きました。
災害医療派遣チーム・・・過去の色々な経験を元に、
行政?を動かし、こうして増えているのは嬉しい事ですね。

国・・もっと素早く動いて欲しいな〜〜この件だけじゃなくて、色々なこと。バイアグラはあんなに早く決まったのに
何故もっと大切な事がホールドされているのかな〜〜
とよく思います。
【2007/01/21 00:47】 URL | エメラルドK #DdMDrPns[ 編集]














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